競馬主要国のダービーが、一通り終了しましたので、ここでダービーに関する私の考えを
披露させていただきたいと思います。
ご存知のように、ダービーは3歳の春に施行される3歳限定のレースです。
競走馬にとっての3歳春という時期は、人間に例えると16~18歳位の年齢です。
つまり、ダービーは高校生のレースなのです。新人戦といってもよいでしょう。
新人戦に何でこんなに熱狂するのかよく分かりません。
こんなことを言うと、必ずこう言う人がいます。
「ダービーは、生涯一回しか出られないレースですよ」と。
ダービーに限らず、2歳限定、3歳限定のレースは、すべて生涯一回しか出られません。
競走馬にとっては、新馬戦、未勝利戦、ダービー、或いは他のレースの区別がつきません。
馬は、常に一生懸命走ります。
競馬の主役は、人間だという考えが根底にあるのではないでしょうか。
ジョッキーに言わせれば、ダービージョッキーになりたいと言うし、オーナーに言わせれば
ダービー馬のオーナーになりたいと言うし、調教師に言わせれば、ダービー馬を手掛けてみたいと言います。
どうやら、人間にとってはダービーというタイトルは、特別な意味を持っているようです。
しかし、競馬の主役はあくまで馬です。人間は脇役に徹するべきです。
ダービーから競走馬としての生活が本格的にスタートするのです。
ところが、人間は、ダービーがゴールだと思っています。
まだ、骨も固まっていない時期にハードな調教をしたり、ダービーの出走権を得ようと無理してトライアル
を使ったりしたために故障し、ダービー出走どころか引退を余儀なくさせられた馬も少なくありません。
それは、人間のエゴにしかすぎません。
「ダービー」という言葉の響きに騙されていませんか。
フランスのように、ジョッケクラブ賞とでも名称を変更したら、随分とイメージが変わってくるのでは
ないでしょうか。でも中身は変わりません。つまり、イメージの問題なのです。
私は、ダービーをいつも冷めた目で見ています。
ダービーに勝ってそれ以降一度もG1レースに勝てなかった馬は、過去にはたくさんいます。
それではダービー馬としての価値はありません。
否、もともとダービー馬としての価値は、それほど高くはないのです。単なる新人戦ですから。
人間の側が、早くダービー至上主義から脱却するべきだと思います。
競走馬のために。